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日々の出来事(日記)や私が考えていること(コラム)などを、テーマにこだわらず好き勝手に記述していきます。
2002年8月25日記載
  沖縄遠征報告4(海中道路、空と海の港、繁華街編)

 

禁煙49日目終了。 タバコの代わりに手元にお茶などがなにもなくても全く気にしない日がくるのだろうか?タバコを吸わない代わりにお茶で口の淋しさを緩和する。そんな日々がここ最近続いています。

沖縄遠征第4段。

いい加減書くほうもまた読むほうも飽きてくる時期 だと思いますから一日ずれましたが一気にラストまで書きました。長文になりましすが最後までお付き合いのほどお願いします。

東村(ひがしそん)から朝のルートと同じく国道329号で南下し、石川市の途中で与那城町(よなしろ)方面の県道を走って具志川ビーチ、照間ビーチを見ながら海岸道路へ 向かった。予め観光雑誌などで再三取り上げらている写真を見ていたのである程度予測していたが、実際に見てみるとやっぱりすごい。地図上でも沖縄本島の一部である与勝半島から平安座島まで3km以上離れている のだが、海の底が浅い関係でそのまま埋め立てて道路にしてしまっているのだ。観光名所のひとつではあるが道路マニア という主点においても文句なしの道路観光スポットでしょう。

この海岸道路は途中で多少のカーブがあるだけでそれ以外は一直線。自分が走行したときはパトカーが巡回していて邪魔だったが、もしいなければ、おそらくスピードメーターは一瞬にして振り切ってしまう 速度を出してしまったことでしょう。天気も良くて風も少なければ言葉では表現できず、そして今まで経験したことのない絶景が運転者の心を弾ませてくれる。ちなみにこの道路の脇はコンクリートで作られた人工海岸となっており、浅瀬が続き、この海岸道路の一部では 公共のビーチも存在している。

海岸道路を渡り平安座島に入ると続いて浜北嘉島(はまひがじま)へも立派な橋があり沖縄にはこういった小さな島へ 陸続きでいけるようにきれいな橋をたくさん見つけることができます。気がついてみると早朝からずっと運転しっぱなしだったのでちょっとここ らで時間をつぶしてみようと思い、周辺をプラプラしようと思った。しかしながらずっと足は相変わらずヒリヒリするし、右足首も車から降り立つ 瞬間足が地面に着地する刺激で激痛が走るし、とてもまともに歩けない状態はなかった。ふと足見ると足首のくりぶしの出っ張りがわからなくほど腫れあがっていて普通に靴が履けない状態 まで悪化していました。

足の日焼けのヒリヒリ感もあったのでちょっとだけ海で痛めた足を冷やすことにした。本当なら海にダイビングと行きたいところも、捻挫のおかげでそれもできない。歩けない。しばらくそこで寝てジッとするしかなかった(泣)しばらくぼぉ〜とこの場所でしていると、地元もおっさんが「海に入ればいいじゃないか?」と話かけられた。心の中ではむかつきながら「ははは」と愛想笑いで ごまかした。

しかし日焼けの皮膚の腫れあがりも初日より気持ちマシになったと思ったのに今度は右足首が時間が経過するほど悪化していく。薬局で買ってきた痛み止め兼用冷却シップは全く効き目がない状態でした。このままこの場所でジッとしていても足の痛みは悪化する一方だし、まともに歩けない状態なのでやむなく車に乗車し運転を再開することにした。車の運転では運転中はもちろん右足を使いますが、足首を動かす動作がほとんどないのと立ってるときなど体重による負荷がないため足組の痛さをあまり感じることなく過ごせます。

海岸道路を跡にして一気に朝と同じ島南部の糸満市まで行き、平和祈念公園へ行ってみた。本来ならすぐにでも中に入って。。。と行きたいとことですが、やっぱり右足が痛すぎて全く歩くことができない状態まで悪化していたので急遽宿で早めの休養をしたいと思い糸満市の宿を探 すことにした。が結局見つからず、しょうがないので近くの静かなことろに車を止めて車内で寝ようと思ったものの車内が異様に暑いし足は痛いし結局寝付けな かった。静かだとおもったらトラクターとかの農家の人たちの動きが騒がしく落ち着かなかったので、思い切って昨日走った那覇自動車道の乗って伊芸S.Aなら寝られるかな?と思い2日連続で那覇ICから今度は北上する方向で走行開始。

一体今日は何km車走らせているんだろうか?と思いながらも伊芸S.Aに到着後そこで4時間ほど寝ることした。本来ならもっと寝るつもりだったが入れ替わり立ち代り入ってくる他の車が気になって落ち着くことができず4時間経過した後再び高速道路に戻りすぐ先の金武(きん)ICで下車。すると料金所のおっさんが、「随分時間経過しているけど途中で休んでいた?」と言われてしまった。これは何事もない会話に思えるが 実に大きな出来事である。というのはもちろん大幅に時間が経過していたことで何か問題があったわけではないが、料金所では高速道路に入った時間から規定 時間を超える時間帯で料金所を通過すると料金所のコンピュータでは不正などチェックするために警告を発するシステムとなっていることが判明したのである。

まだ大幅な時間経過だけならいい。その反対だったら?全長距離が80kmだったと仮定した場合制限速度80km/hの道路なら所要時間は必ず1時間以上かかるわけで、もしそれ以下 の時間で通過していたとすれば速度違反を犯していたという証明にもなる。このようなシステムがあるともしかしたら 、料金所の手前にあるナンバー読み取り機における情報と加味しこのナンバーの車は制限速度以上の速度で走行した車であるなどといった道路公団のブラックリストに載ってしまう可能性も秘めているということにならないか? 考えすぎか?

当然のことですが、いくら走行中速度を出していても途中のサービスエリアなどで休憩していればその証拠はすべてなくなりますが、私のように普段ガソリンがなくなるまで全く休むことのなく走り続ける者からしてみれば万が一のことも想定しなくてはならなくなった。現実東京ICから名古屋ICまでノンストップ走行は私にとってごく当たり前であるのだが、本来なら制限速度を守り続ければ絶対に3時間30分はノンストップでもかかる所要時間。しかしながら私の場合大抵の場合3時間以下で走行してしまうわけで(途中で混雑する区間がなかった場合)ICの出た後に警察の御用!なんてこともありえない話ではない。そんなことを感じた金武ICでのおっさんからの発言だった。ただ過去では青森ICから泉料金所通過の浦和料金所まで6時間10分で走行したことがあったがそのときは何も言われなかった。

金武ICを降りて再び国道329号で南下。時間的に早朝であったため道路はガラガラ。もちろんガラガラという状況を十分堪能しそれなりの速度で一気に南下し た。沖縄市から今度はまだ一度も走行していない国道330号線を走ってみることにする。沖縄市内の国道330号は思った以上に都会だった。特に 道路沿いではスナックや飲み屋が比較的多かった。道路も片側2車線で路肩があまりない道路が続きしかも交通量が多いので路駐 ができる場所はほとんどなかった。また深夜帯では沖縄市街地近郊はすべて駐停車禁止区域で昼間はただの駐車禁止と うちょっと変わった路線となっていました。

そうこうしているうちに時間もそこそこ経ち9:00(14日)になっていた足は薬局で買ってきたシップも全く効果ないので、出発前にもしものことを想定して保険証を持参していたことから医者を探して腫れあがった足を見てもらうことにした。出発前まさか沖縄の医者に行くことになるとは想像もしていなかったが、 結果医者に見てもらって正解だった。医者から処方されたシップは薬局で買ってきたシップとは全く違った特殊性のあるものだった。医者で見てもらって処方されたシップだと不思議と気分的に 効き目がありそうで安心感が出てくる。

注意書きを読んでみるといかなる場合も紫外線を直接患部にさらすな!と赤字で明記してあったので面倒だがこのシップを貼ってから靴下も併用して履くこととした。腫れ上がっているため靴はそのままはけないのでサンダルに靴下というなんともアンバランスであったもののその状態で東京に帰宅するまで過ごしたことを先にお伝えしておきます。

その医者があった場所は那覇市内の中でも北部に位置し浦添市との境にあるニュータウンの中にあった。ニュータウンとは関東の人ならご存知の多摩ニュータウンや港北ニュータウン、千葉ニュ−タウンのような沖縄版である。このあたりは以前 丘や山だった部分を切り崩して新しい町を作り出そうとしている場所である。雰囲気はまさしく港北ニュータウンとそっくりである。その名称は正式には「なはしんとしん」と呼ばれこのあたり一体(住所でいうと那覇市天久:あまく)をちいき公団が再整備している街であ った。まさしく数年前の整備中の港北ニュータウンをコピーしたかのような街でした。

大型マンションが軒並み工事中だったし道路も整備途中の段階。そしてそのエリアの中にはファミレスや大型家電店(ベスト電器)、ホームセンター、オートバックスやイエローハット、大型薬局、TSUTAYA。スポーツアイランド、そして只今工事中で今年の年末オープン予定の「NAHA MAIN PLACE」などといった生活する上で必要な店舗がドンドン増加中のまさしく発展途上の街である。地図上でも「那覇新都心土地区画整理地域」として指定されている。私はなぜかこの街が気に入ってしまった。道路も整備途中であるが、渋滞とは無縁なほど扇式道路として整備されているし、圧迫感から開放さて気分的にもすがすがしくなる場所であ りました。なにか探しものがあれあばここにこれば大抵のものが入手できるし店舗にはすべて大きな駐車場が整備されている点がいい。

医者への診断が終わって処方されたシップを貼付した後は港の写真がまだ撮影していなかったなぁということで那覇新都心から近い那覇新港へ向かう ことにした。この港は最近では長距離フェリーや大型貨物船の港として利用されており貨物運搬トレーラーがとにかくものすごい台数が行き交う港である。物品など沖縄県内への搬送はおそらくこの港を中心に展開されているものと 考えられる。そんな大型トレーラーがガンガン走り抜けているところに那覇新港の旅客待合所があった。写真では目の前の道路はほとんどガラガラのような状態ですが、たまたまタイミングを見計らって撮影したものであってこの狭い道路をトレーラーがとにかく激しく通り抜けていくのである。ちなみに待合所を反対から見た写真はこちら

また港では偶然にもこれから那覇から石垣(いしがき)、西表島(いりおもて)へ行く私が乗船してきたフェリーの兄弟であるクルーズフェリー飛龍21が着岸していたので思わず写真撮影。この写真はここから大量のコンテナと乗用車などを運搬するための出入口である。全体写真はこちらを参照。本来ならこの日は那覇新港にいる ダイヤではないのですが、この時期特有の特殊ダイヤが組まれており那覇〜石垣〜西表ラインはこの時期非常に混雑するためにダイヤ変更でこの週だけ本州〜沖縄路線を廃止して那覇〜石垣ラインへ増便変更したためであった。

またこの翌日(沖縄最終日)に私が乗船していたクルーズフェリー飛龍も着岸してるときの写真を撮影できたので先に公開しておきます。 尚、飛龍21と飛龍の着岸する場所が若干離れています。待合室から海を見る方向側から右手が飛龍21、左手が飛龍である。またこの写真の手前にある大型フェリーは琉球海運のものであり、多分宮崎〜那覇を竣航している船だと思われる。 とにかくいずれもかなりデカイ船たちだ。

那覇新港から続いて市街地側にある那覇港にも行ってみることにした。那覇港までの道のりは海岸沿いを走った波の上道路という大きな(泊大橋)を 走ればすぐ到着できる。那覇港へは国道58号線の旭橋交差点から続く国道390号線を400m走れば到着できる。ちなみに300m程度走ったところの道路風景はこちらです。実はこの390号線。一見たったの400mしかない道路なのですが、これもまたスーパー国道のひとつで旭橋の分流時点から400m先の沖縄港で一旦切れている道路も更に遠く離れた南国の島である宮古島と石垣島までこの390号線は続いているのであります。もしこの390号が58号だとしたら・・・。別に位置的にそうなってもなんら不思議でないのだが、仮にそうだったとしたら私のロマンは沖縄本島から更に南国である宮古、石垣まで夢が続いていたことでしょう。ただ近い将来フェリーではなく飛行機+レンタカーで宮古、石垣へ行くときはあると思います。ある意味国道390号線を制覇するってのもロマンがあっていいかもしれません。

さて新港と比較して随分古臭さを感じます。旅客ターミナルはこちら。この写真だけみれば 近代的に見えますが、中に入るといずれもなんだか数十年前を思わせる雰囲気を出している。この旅客ターミナルから港を眺めた風景はこちら。写真では何も 船は見当たらないが、車両の出入り口である一部が見えているのでおそらくここにフェリーが着岸するのだろう。以前は鹿児島からのフェリ−の発着もあったようだがここ最近か鹿児島からのフェリーも新港へ異動してしまったようです。今ではこの港から出る船のメインは沖縄本島周辺の島々へ行く比較的小型船が多いようです。 そして国道390号ではこの港から宮古、石垣に行くはずも現在はその有村産業は新港が離発着ターミナルですから、残念ながら道路とフェリーは場所は直結していません。

また那覇港近郊から那覇新港を眺めることができ ます。先ほど紹介した琉球海運の大型船が見えていますよね?さて那覇港の後は今度は空の玄関那覇空港へ行こうと思いましたが、まず先に国道58号線の終点である明治橋から南下して 空港ではなく昨日と同じ糸満市方面へ。その理由はまだ時間があるし朝より多少歩くことができたため、昨日行って断念した糸満市にある平和祈念公園を再度訪問することとした。この平和祈念公園は沖縄陸上戦で戦没された方々の全員の名前が刻まれた慰霊碑が 設置してある公園です。この、もの静ずかなひとときを眺めているとなんだか切なくなってく るのであります。とにかくこの場所は平和の尊さを実感できる場所で した。この祈念公園を跡にして今後はその傍にある沖縄本島の最南端部でもあるい平和の塔がある場所へ向かい、 そして最後に那覇空港へ戻ることとした。

空港へ向かうには明治橋から始まる国道331号と332号の重複期間から向かうのだが、とある場所からこの重複区間の国道は分流し、糸満市方面(331号)と空港方面(332号)とな っています。空港方面である国道は全長がたったの約3kmしかない国道332号線でせっかく沖縄へマイカーで来たのだからということで沖縄本島内にある国道看板写真とマイカーが同時に写っている写真を全部抑えたいということからこの写真を撮影しました。このあたり一体は本来なら陸橋となっており駐停車禁止区間となっているため 撮影ができないために敢えて国道331号と分流する脇にある側道陸橋に合流する手前まで行き撮影しました。この写真を撮影した直後にデジカメから嫌な音・・・・「ピピピ・・・」え?っと思いデジカメ見るとスマートメディアの容量一杯によるデータ書き込みエラーの音だった。

早速その場で予備に持参していた中身が空である別のスマートメディアに差し替え空港へ。空港の全体のイメージ写真を撮影しようと思っていたのだがなかなかいいスポットがなく 、また空港の周辺は予測どおりすべて駐停車禁止区間であるので辛うじて撮影できたのはこの写真と なってしまいました。モノレールと目の前にある立体駐車場が邪魔でこんな程度の写真しか撮れませんでした。また只今工事中のモノレール那覇空港駅もほとんど完成状態であるので、もし完成すれば空港から那覇市内までのアクセスは実にスムーズになるものと 想像されます。この写真の右側が空港ターミナルビルとなります。

このままでは空港のイメージが捉えられないということで有料駐車場にマイカーを突っ込んで歩いて旅客ターミナルまで足を運んでみた。建物はかなり近代的であり国内線ターミナルの大きさ は羽田と比較して約4分の1程度、福岡と比較して面積的にはほぼ同じだが那覇空港の方がより近代的で賑やかさがある。但し乗船口は那覇空港の方が少なく一箇所に集中してる感じ だった。

通常の待合室からでも十分飛行機が眺められるのですが、せっかくなんで送迎デッキに出てみることに した。眺めとしては滑走路も福岡ほど近くはなかったがまずまず音も近くで感じることのできる送迎デッキだった。ここから飛行機の乗船口近郊に全日空の飛行機がこれからタキシングに向かう途中だったので思わず写真を 撮影。

これらの写真を取り終わった後しばらくターミナル内でいろいろ歩いてみた。そういえば足の痛みが朝医者に行ったときより随分マシなった気がしていた。だってターミナル内とりあえず普通に歩くことができてい るのだから。もちろん走ることはできないし階段を下りるときは振動と体重を支える瞬間は痛い。でもなんとか巡回できる程度の歩行は可能になった。なんだかちょっとうれしい気分になった。

気持ちにだんだん余裕が出てきた時に考えたのは、今ここにいる人たちは当たり前だが飛行機でこれから自宅へ帰宅する人たちが大半です。飛行機に乗ってしまえばたった3時間30分足らずで羽田空港まで到着してしまうことを想像すると、自分がこれから明日のよる36時間かけて沖縄新港 から名古屋港まで行く身であることと照らし合わせると、あっという間に東京に到着できる人たちがかなりうらやましく感じた瞬間でもあった。繰り返しになりますが、私は船は嫌いだし飛行機が 断然好きです。でもマイカーを搬送するには船という手段しかなく、一緒に人も乗らないと予算上採算が合わないからやむなくフェリーを利用している ということからしても空港に来て見てやっぱフェリーじゃなくて飛行機だよなと強く思ったのでありました。

今日の夜はまともに宿が取れたので久しぶりに普通に寝ることができます。いよいよ最後の沖縄の夜を向かることとなりました。ホテル内では数日振りにテレビを見ました。ニュースも全然見ていないし世の中が一体どうなってしまったのか 全然わからなかったが、天気予報を見ていると「えっ台風接近!」一瞬あせりました。でも明日沖縄を立つことから辛うじて台風の接近速度が一日遅かった ので出航には問題がない。それだけでもその晩は確認できたので本当によかったと思います。足にまつわるトラブルが続いただけに最後船という足まで止まったらと 考えるだけでもゾッしたものでした。一日ずれていたら・・・たった一日のズレが沖縄出航 ができず週明けの仕事に影響が出かねない状況だったので本当に良かった。

宿泊先ではデジカメの写真でも整理して撮影失敗分はデータの削除を行おうとなどと思って写真データを確認しようと思って夕方データ満杯になったスマートメディア をデジカメを差し替えて中身をチェックを試みたところ、なんとデジカメからスマートメディアエラーメッセージが出ていた!(マジかよ〜!!)

何回やっても今まで撮影したデータがこのエラー表示で中身を確認することすらできない状態だった。考えたくないが万が一今までの撮影した120枚(一枚のスマートメディアあたりの撮影記録枚数)がデータが消えていたら・・・・せっかく日焼けによる足の腫れや捻挫の痛みも多少緩和して最終日である明日は歩き中心の観光をじっくり堪能できると思ったのに。。。安心して寝るに寝れない状況となってしまいました。でも最後の写真を撮影したときに出たあの音「ピピピ」はもしかして書き込み途中でエラーが発生してデータの中身が消えてしまったのか?などと最悪の事態を想定してとにかくその夜は台風情報で辛うじて船のダイヤには影響がない安心感と沖縄にきてからの3日間の写真が全部消えてしまっている可能性があるという不安が交互に押し寄せ頭の中が錯乱状態だった。

とにかく考えた。このスマートメディアのデータが本当に飛んでしまったのかを確認する手段を。確認するには明日パソコンショップへ持ち込んでデータを見てもらうしかない。とにかく明日の予定はそれからだと思った。とにかく最大の目的である国道終始点の写真と沖縄へマイカーで来たという証拠を残さないとココまでお金を賭けてきたこと が全部無駄になってしまうと思うと 、あせりと緊急事態が頭の中を駆け巡っていく。早くこのスマートメディアのデータが無事か確認したいと思いながらとりあえず今は寝るしかないということで不安の夜を過ごした。

沖縄滞在最終日(15日)朝、起きたら早速那覇新都心内にあるベスト電器へ向かった。開店時間と同時にパソコン販売フロアに行ってスマートメディアの中身を確認してもらった。すると店員から最悪の言葉が・・・・「中身確認しようと思ってスマートメディアドライブは認識していますが、中身を確認しようとするとフォーマットしますか?と出ますね。つまり・・・そうゆうことだと思います」

ガーン!そっそんなぁぁ〜。最後の最後にこんなトラブルを神様が私に与えるなんてひどすぎるぜ!どこまで神様はオレに長距離遠征に試練を与えるんだ!と顔は普通でも心の中は大泣き状態。泣いていても始まらない。沖縄にいる時間はもう今日の夜8時までしかいられないんだ。そう思った瞬間車に乗り込み写真撮影だけを目的に爆走する。高速道路 を屈指してもう一回国道58号始点である奥地区まで行った(結局この場所3回目・・・汗)、引き続き急いで今まで紹介してきた写真をもう一回すべて取り直しという想像を絶する時間との戦いが始まった。

最終日、私が移動した環境は次の通りです。

那覇市→高速道路→名護市→奥→茅打ちバンダ→辺戸岬→名護市→高速道路→海中道路→高速道路→明治橋→平和祈念公園→那覇空港→那覇港→那覇中心部へ

この時点でもう日が沈みかけていた。今までの3日間ゆっくり、そして楽しみながら撮影してきた写真データがなくなってしまった(と思われる)今最終日はとにかく3日かけて撮影してきた写真を再びできるだけ全部取り直すという離れ業を最終日にやることになるとは想像もしていませんでした。なんとも間抜けというか・・・言葉にならないぐらい一日があっというまだった。本当なら最終日はまだ 行っていない首里城とか行くつもりだったがそれよりももっと重要なポイントの写真撮影をするという時間との戦いを過ごしたのでありました。最も重要な写真は一通り再度撮影し直したので、後は那覇の中心部である街を少し体験してみました。

夕方で日が暮れそうだったが、沖縄は駅がないためにどこが中心部なのかというと沖縄県庁の傍にある交差点から国際通りという道路がある。上から見た風景はこちら。ちょうど夕暮れだったのでこんな写真となったが、夜は大変にぎやかになり沖縄の中でもっとも繁華街で盛り上がるストリートである。この道路はバス 通りでもあるのだが万年渋滞として有名だそうだ。普段から新宿などの大繁華街を見慣れている私からすれば子供だましレベルの繁華街だが、街ととしては十分な賑やかさだと思う。国際通りではたくさんの店舗が立ち並びいわゆる夜の街でもある。お土産などを買うのもここが一番いいだろう。今は国際通りに来るには飛行場からだとバスしか手段がないのだが、再三書いているモノレールが開通すれば那覇バスターミナルがあるひとつ前の旭橋駅県庁前駅で下車すればいけることになる。

日が暮れはじめてきた。日が暮れたあとは帰るためにフェリー乗り場に向かうだけだが、まだ時間があったので飛行機の離陸などが良く見える無人島である瀬長島へ向かった。無人島とっても陸続きでいけます。その飛行機が離陸し上昇していく途中の全体写真と、下から見た飛行機の写真でも撮って見た。多分飛行機マニアだったらきっと最高の場所だと思います。

さぁ日が暮れました。いろいろあった沖縄、痛かった日焼けの腫れも赤みは相変わらずも痛みはなくなった。捻挫した箇所は歩くだけなら差し支えなくなった。スマートメディアのデータとんだのはいただけないが、最終日はやけくそに走りまくって写真取り直したので何とかなったなぁなどと思いながら沖縄新港へ。乗客予定人数は行きの大阪よりは若干すくないもののソコソコ人数はいた。行きと違い帰りは予定時刻(21時30分)どおり出航した。後は36時間船の上で耐え抜くだけだ。

行きと同じ船(クルーズフェリー飛龍)なので乗船後、船内体験ということもなく、すでに4日前に乗船しているだけにすでに船内は熟知している。だから乗船したと同時に特にやることもない。結局すぐ寝ることにした。朝起きると外を見ると船は360度海しか見えないところを進んでいる。デッキに 出てみても力強く進む船と青空に入道雲。360度海しかみえない。携帯電話は圏外のまま。行きは陸に近いところを航海するのだが沖縄〜名古屋は陸から離れたところを進んでいるために携帯電話は使えないし外は海と雲と太陽しかみえない。結局16日(金)は日中携帯電話は一度も通話可能エリアに入ることもなくそして陸の陰すら見ることなく終わった。実に退屈な 一日だった。

特に携帯電話が使えないということはGPS機能を使って今どこにいるのかすらわからないということであります。太陽と時間から方角的にどちらに進んでいるかの程度しかわからない。行ったことはないが砂漠の中に今どこか?と思うのと同様にひたすら進んでいるといった具合でしかも陸から離れたところを航海しているために波も比較的大きく船は大きく、そしてゆっくり一日中揺れ続けた。

まだ大阪から沖縄へは初めて乗る船だったり船内体験や外を眺めれば陸からさほど離れていないために携帯電話はつながり今どこにいるのかの場所を確認することもでき、船の中で勝ち馬検討他やることはいっぱいあった。また沖縄へこれから向かっているという期待感もある上 、船そのものの揺れはそれほど強いものでもなかった。しかし帰りは外でても海しか見えないし携帯電話は圏外だし揺れは大きいし本当に苦痛だった。ひたすらぼぉ〜とするしかな かった。

唯一の救いは帰り客室で相部屋となった回りの人が会話をしてきたこと。行きは一回も言葉を発することなく終わったが帰りは話好きなおじさんたちが相部屋だったので多少は気を紛らわすこともできたのは良かった。6人相部屋で全員と会話したわけでないが一人はコテコテの名古屋弁(正確に言えば三河弁)で話す愛知県豊明市の人、なんかむちゃくちゃ久しぶりにあの独特のイントネーションを聞いた気がした。そう思うと今の自分の話 方ってなんだか関東バリバリで堅いイメージがあるようです。

もう一人は沖縄の人で休みに沖縄へ帰省し休みが終わるから単身赴任で岐阜(土岐市)のとあるメーカーの工場で勤務する人だった。そしてもう一人はライダーで群馬伊勢崎の人だった。この人は行きは東京有明から沖縄行きが出ている大島運輸のフェリーで行ったらしく帰りはこの有村産業 にしてみたそうだ。その人の話によると有明からの出航は同日都内で花火大会があった関係で道路は大渋滞、乗船予定者が周辺の道路大渋滞の関係でフェリーターミナルに 予定時刻に間に合わない人が大量に発生した関係で予定出航時刻から5時間も遅れたそうです。また乗客数が非常に多く2等の雑魚寝式で一人あたり一畳ぐらいしかスペースがなかったそうです。それでいて航海時間が44時間だからたまったもんじゃありませんね。私も一時期大島運輸を検討していたけどこの話聞いて往復ともに有村産業にして良かったと痛感したのでした。

とにかく帰りはフェリーはもうウンザリという言葉しか出てきませんでした。本当にもうフェリーにはよほどのことがない限り乗りたくありません。予定時刻より一時間遅延して名古屋港に到着(17日朝9時)。ちなみに名古屋港から自分の実家まで車で15分程度なのです。長時間フェリーで一日半過ごしたわけですが、車の走行距離は沖縄新港から全く動かさず実家まで到着港から15分ってなんだか実に変な気分です。

後は名古屋市内で昼間いろいろ過ごしてそのまま長野経由で東京まで戻ってきたのが午前2時。一応これが私の沖縄遠征の全工程です。東京から大阪南港(560km)までの移動と沖縄本島内での走行、そして名古屋から東京までの移動距離(380km)を総合計すると2100km程度となりました。つまり沖縄本島の最南端から最北端まで直線距離としては130km足らずを3往復に加え、細かい走行を含めて4日間で1200km程度走行したことになります。予定では1000km未満でしたら最終日の写真最撮影という全く持って予想以外の行動が走行予定距離を追加してしまったという結論です

自宅にもどって問題のスマートメディアをチェック。すると何事もなくアッサリデータを読み取って撮影した写真データはパソコンへ落とすことができました・・・・汗。結果として良かったのですが最終日のあの時間との戦いは一体何を示していたのだろうか?ベスト電器の店員が私に告げたあの地獄の言葉「データ読み取れませんでした」の真意は?とあまりにもいろんなことがあった沖縄。過去最高の日数を要した遠征と輸送費も過去最高だった。多分今回のマイカーで沖縄遠征は今後の人生の中で沖縄へ移住するといったことがない限り、プライベートでは二度とやることはないでしょう。フェリーはもうイヤだ。それだけ一生に残る思い出となりました。

最後は長文になりましたが以上で一応沖縄日記は終了です。

最後に番外編。この写真を見れば沖縄だといく証明になるでしょう。わかる人にはわかるはずです。北海道稚内市と比較すれば相当に違いますよね!?

明日は今後の目標と方針を書きます。

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